ほくそんの図書室

気まぐれな小さい図書室。

『養護学校は、いま』

 

72)今年の夏、講師の先生が紹介していた“鯨岡峻先生”の本。

 

まえがきと第1章は鯨岡先生の言葉で、第2章から第4章は子どもと先生の関わりをエピソードを通して具体的に紹介しています。

 

まえがきーなぜ今この本を書こうと思ったかー

 

1  

子どもたちが重い障害を負っているにもかかわらず、身近に接してみると、私たちを「はっと」させるような人間存在のきらめきといったものを折々に垣間見せてくれることがあり、そのときの感動を是非とも読者に伝えたい

 

2  

養護学校の先生方の教育にかける情熱や努力といったものを是非とも一般読者に紹介してみたい

 

 

3  

子どもと教師の関わり合いのなかには能動と受動の複雑な絡み合いがあるということですが、特に重い障害を負った子どもたちの前では、先生方はいつのまにか優しくなり、情熱を傾けるようになるという不思議を取り上げてみたい

 

4  

身近な人とのあいだのコミュニケーションにおいて大切なものは何かを考え直してみたいという目論見

 

 

第1章 重い障害のある子どもと教師のコミュニケーション

 

・コミュニケーションとは?

コミュニケーションには、「伝える」ことと「理解する」ことに重きを置いたもの(本書の中で鯨岡先生はこのことを“コミュニケーションの理性的側面”と呼んでいます)と、気持ちの「分かり合い」「通じ合い」に重きを置いたもの(同じく”コミュニケーションの感性的側面“)の2つの側面があります。

 

従来の障害児教育の「健常児よりも発達に遅れがあり、発達段階に沿って指導すれば良い」という風潮と、前者の立場(コミュニケーションの理性的側面)でコミュニケーションを捉えることで、子どもと教師とでコミュニケーションが図れないのは、「子ども側の表現能力、理解能力に問題がある」とされ、「教師が子どもに“教え導く”」ことが良しとされてきました。

 

しかし今、障害の程度が重い子どもたちを目の前にして、「子ども側に問題がある」と言い切ることは難しく、後者の立場(コミュニケーションの感性的側面)でコミュニケーションを捉え、「教師が子どもを“受け入れる”」ことも良しとされています。

 

“受け入れる”とは、

子どもと「いま、ここ」を楽しく充実して過ごすことを第一義的に考え、能力向上を願いとしては依然として持ちながらも、必ずしもそれを教育の第一義的な目標に掲げない

ことです。

 

 

・重い障害を負った子どもとのコミュニケーションはいかにして可能になるのか?

 

どれだけ障害が重くても、一個の人格をもった存在であると受け止め、子供の気持ちを分かりたいと思う志向性がまずあることが大切です。

※志向性・・・すべての意識はなにものかの意識であり、常に一定の対象に向いていること。

 

例えば、食事の時間です。口元にスプーンを持っていき一口食べると、子どもはちょっと妙な顔をしました。子どもの気持ちを知ろうと様子を注意深く見ていた先生は「あれ?あまり美味しくなかった?」と言葉をかけるでしょう。

 

しかし、食事を進めたいという強い構えをしている先生であれば「美味しかったね。もう一口どうぞ」と言葉をかけるかもしれません。

 

子どもの気持ちを知ろうとする志向性とともに、関わり手の働きかけについてもそれで問題がなかっただろうかと常に自分に問いかける必要があります。

 

 

・重い障害のある子どもと教師のコミュニケーションにおいて大切なものとは?

 

「間」・・・先生が子どもに「おなか触っていい?」と問いかけ、子どもの様子を伺いながら一拍おき、子どものお腹に触ります。これは「問いかけ→間→応答」という形をとります。

 

最初は大人主体で関わらざるを得ないですが、段々とその「間」を子どもが埋めることができるように変化していくと、その関わりはとても良いものになっていきます。

 

しかし、この「間」を埋める表出は、大人の働きかけに対する子どもの表出であり、必ずしも子どもが主体となるコミュニケーションにはつながりません。

 

ですが、この“問いかけへの表出”を重ねて、「先生に気持ちが伝わった!」という成功体験が積み重ねられ、徐々に「もっと伝えたい!」という“他者へ向けられた表現”に変化していく重要な過程であると思います。

 

「子どもの主導性を引き出す」・・・子どもの表現を敏感に受け止め、それを認め、受け入れる姿勢が重要です。

 

「分かろうとする構え」・・・子どもを「いつも、すでに」気遣う姿勢が、子どものコミュニケーションのありようを左右します。

 

「子どもの立場になる」・・・子どもの「そこ」を生きようとするとき、コミュニケーションの流れの中で関わり手が子どもに代わってやって見せていたことが、いつのまにか取り込まれ子どもの能力として定着するようになります。

 

「能動と受動の交叉」・・・子どもの今のありように寄り添いながら(教師 子どもに受動的)、教師が子どもに現れて欲しいことを、子どもに成り代わって繰り返しやって見せ(教師 子どもに能動的)、再び子どもの出方を見守り(教師 子どもに受動的)…と能動と受動を交互に行う対応をすることが、正しい意味での教師の受容的な関わりではないかと思います。

 

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本のタイトルに使われている「養護学校」という名称は、学校教育法の変更に伴い、平成19(2007)年に「特別支援学校」に変更された。(この本は平成12(2000)年に初版が発行されている)

 

名称が変更された後も、鯨岡先生のこれらの関わり方は今でも伝承され、実践に生かされていると思う。

 

鯨岡先生は現在、中京大学心理学部の教授として教鞭をとっており、一度講演会に行ってみたいとも。

 

 

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