45)自然科学系が急に?読みたくなって店頭に並んでいたこの本を手に取った。
「自然」ってなんだ?と考えさせられた本でした。読んでて面白かった。
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自然を「元来の手つかずの姿」に戻そうとしてきた自然保護活動であるが、それで本当に地球の自然は守れるのであろうか。地球の「自然」をこれからどうしていくか?戻していくのか、それとも自然のまま受け入れるのか?本文中では著者は、
・人の影響が見えても、そこに自然の美を見出すことも可能だ。
・人間が関与しようがしまいが、生態系は常に変化する。
と述べている。
手つかずの自然がないということを踏まえ、私たちは自然に何を求めるか、自然保護において何を重視するか を考えなくてはならないのではと。
ではなぜこれほどまでに、「手つかずの自然」を目指したのか。
それは、自然は不変なものであると考えられており、人間がいなければ、自然の状態が永遠に持続すると考えられていたためである。しかし実際には、現実とは合わず、食物連鎖は混沌としているという考えが多く支持されている現状があった。
「手つかずの自然」であっても、私たち人間は地球全体を変えてしまったという。どういうことか。
手つかずの自然として代表的なものが、ウィルダネス(原生地域)である。
最近まで先住民族はあまりにも少数にして未発達であるため土地の景観に深刻な影響を及ぼすおそれなしとして、問題にされなかった。(略)消えゆくアメリカのウィルダネスを守ろうという叫び声がはじめて上がったころの人々はみな、当然のように、コロンブスが発見した当時のアメリカ大陸は「手つかずの自然」だったと考えていた。
とあり、私たちはこの概念を目指すべきだと考えられていた。しかし、先住民たちは様々な動物を絶滅に追い込んでおり、この大陸中の生態系はほぼ全て何らかの意味で人工的なものであると分かってきた。そこで、私たちが目指す自然概念を変えていくことで、もっと自然を増やしていくことができると考えた。
ではどのようにして自然を増やしていくのか。
失われた種を「代理種」で補おうとしたのである。後に”更新世再野生化“と呼ばれ、新しい生態系をデザインするプロジェクトが始まった。大型動物が絶滅し、食物連鎖が崩れつつある島や地域に、その絶滅した動物の代わりになるような大型動物を導入しようという計画である。環境保護論者たちは、開発や負の変化を起こすことに反対を唱え続けるよりも、もっと積極的なことができるのではと考え始めた。
しかしこのプロジェクトは、人間による野生への介入であり、新たな生態系がどんな進化を見せるかは推測することができないという批判があった。
アメリカナキウサギは高山帯の比較的寒いところに生息している。地球の気候が温暖化するにつれてナキウサギは標高の高いところへ移動しているが、山によっては不運にも、すでに山頂付近である。もう避難先はないのである。しかしこれを心配した人間がクーラーボックスを持って助けにきたらどうだろう。地球温暖化に先立ち、将来も繁殖可能な土地への移動を考え始めている。
すでに、多くの種を意図せぬまま優先的に移住させているという事実もある。
しかし、移動させられた動物は死んでしまうかもしれない。というのも生きるために彼らが何を必要とするかはわかっていないからだ。また、移動した地に元々いた「在来種」を絶滅させてしまう「侵入種」になる可能性もある。
私たちにとって一番身近な言葉で言えば、「外来種」こと侵入種は本当に恐ろしい存在なのだろうか?
外来種には大問題となっているものもあるが、そうでないものが大多数なのである。だから本来はいないはずの場所にいるからという理由だけで、外来種を駆逐することに時間とお金を使うことは無駄であると著者は述べている。
(池の水を全部抜いて外来種を駆除するという企画をテレビで見るようになったが、あれは何を目的としてやっているんでしょうね…と)
本文には、外来種でできた生態系をもつ島について取り上げており、シダばかりの単調で変化に乏しい島に、多くの種を入れていき、島の自然を改善するように勧めた例もある。また、外来種が在来種よりも優れている場合があり、人間による変化を受けた「新しい」生態系は私たちの惑星の未来の姿を象徴していくのである。
では著者が述べる私たちの惑星の未来は、どんな姿だろうか?
著者は、人間は人口が密着する都市に撤退し、自発的に人口調整を行い、多くの土地を人の管理の手が入らぬままにしておくべきだと述べている。
そのためにも、多様な目標を土地ごとに設定し、コストも考慮するべきであると。自然保護事業は、単に現存するものを守るだけでなく、さまざまな土地を新たな候補として認め、その価値を日々高めていくことが必要であると。
そのためにも私たちは、自然はすべての人の干渉、管理のもとにある「ガーデン(庭)」と呼び、「多自然ガーデン」として、私たちの暮らしとともにあるリアルな自然保護を行っていくべきだと述べている。