ほくそんの図書室

気まぐれな小さい図書室。

『セゾン〜堤清二が見た未来〜』

 

47)よく行く無印良品とロフトのことが載ってる&巷で話題になっている本ということで購入。

 

無印良品ファミリーマート、パルコ、西武百貨店西友、ロフト、そして外食チェーン吉野家。(略)これらの企業が、かつて同じグループに属していたことを、知らない世代が増えている。

 

本当に知らなかった。でもたしかに、ファミリーマートだけ無印良品の商品が置いてある…こわ…。

 

今まではそこに売られている商品しか見えていなかったけれど、無印良品、ロフト、吉野家等のバックグラウンドを見て、商品とともに、その会社の方針とか、なぜこれを置いているのかとか、また違った目で見ることができるなあと。おもしろい。

 

 

f:id:hokuson-diary:20181124171901j:image

 

 

 

セゾン 堤清二が見た未来

セゾン 堤清二が見た未来

 

 

 

『クリスパー〜究極の遺伝子編集技術の発見〜』

 

46)遺伝子テーマの本2冊目。筋ジストロフィーについて書かれていたのが一番印象的である。

 

ヒトゲノムを構成する32億文字の中から、たった一文字の誤りを探し出し修正するという離れ業ができる、その技術。2012年にその画期的遺伝子編集技術を「サイエンス誌」に発表したジェニファー・ダウドナ博士は、またたく間に自分の開発した技術が遺伝病の病気のみならず、マンモスを含む絶滅動物の復活プロジェクト、農作物の改良など燎原の火のように使われていく様におののく。豚の内臓を「ヒト化」し、臓器移植するための実験も行われた。人間は自らの種の遺伝子までも「編集」し、進化を操るところまで行ってしまうのか?(帯より)

 

遺伝子編集技術の発見により、遺伝子系疾患に対する治療方法に光がさしたとともに、ヒト胚の遺伝子編集の可能性も出てきたことを危惧していた。つまり、生まれてくる子どもの遺伝子を「改良」し「調整」できる可能性が出てきたということである。しかし、現在行われている“着床前遺伝子診断”と呼ばれる不妊治療のひとつの手法では、最も健康なゲノムを持つ胚を選ぶことができるとのことで驚いた。

 

遺伝子すごい。これからもどんな使われ方がされていくのか見ていきたい。

 

またその中でも印象的であった文がこちら。

人に関すること、とくに医療が絡むことにおいては、自然と不自然を隔てる一線は、消えかけているといっていいほどあいまいである。

 

前回読んだ『自然という幻想』の内容に近くて面白かった。これが同じテーマを続けて読むことの面白さ?楽しさ?なのかなと。

『自然という幻想』 - ほくそんの図書室

 

 

 

さあ次は何を読もうかな。

 

 

 


 f:id:hokuson-diary:20181116203237j:image

『自然という幻想』

 

45)自然科学系が急に?読みたくなって店頭に並んでいたこの本を手に取った。

 

「自然」ってなんだ?と考えさせられた本でした。読んでて面白かった。

 

------------------------------------------

 

自然を「元来の手つかずの姿」に戻そうとしてきた自然保護活動であるが、それで本当に地球の自然は守れるのであろうか。地球の「自然」をこれからどうしていくか?戻していくのか、それとも自然のまま受け入れるのか?本文中では著者は、


・人の影響が見えても、そこに自然の美を見出すことも可能だ。

・人間が関与しようがしまいが、生態系は常に変化する。


と述べている。


手つかずの自然がないということを踏まえ、私たちは自然に何を求めるか、自然保護において何を重視するか を考えなくてはならないのではと。


ではなぜこれほどまでに、「手つかずの自然」を目指したのか。

 

それは、自然は不変なものであると考えられており、人間がいなければ、自然の状態が永遠に持続すると考えられていたためである。しかし実際には、現実とは合わず、食物連鎖は混沌としているという考えが多く支持されている現状があった。

 

「手つかずの自然」であっても、私たち人間は地球全体を変えてしまったという。どういうことか。

 

手つかずの自然として代表的なものが、ウィルダネス(原生地域)である。

 

最近まで先住民族はあまりにも少数にして未発達であるため土地の景観に深刻な影響を及ぼすおそれなしとして、問題にされなかった。(略)消えゆくアメリカのウィルダネスを守ろうという叫び声がはじめて上がったころの人々はみな、当然のように、コロンブスが発見した当時のアメリカ大陸は「手つかずの自然」だったと考えていた。

 

とあり、私たちはこの概念を目指すべきだと考えられていた。しかし、先住民たちは様々な動物を絶滅に追い込んでおり、この大陸中の生態系はほぼ全て何らかの意味で人工的なものであると分かってきた。そこで、私たちが目指す自然概念を変えていくことで、もっと自然を増やしていくことができると考えた。

 

ではどのようにして自然を増やしていくのか。

 

失われた種を「代理種」で補おうとしたのである。後に”更新世再野生化“と呼ばれ、新しい生態系をデザインするプロジェクトが始まった。大型動物が絶滅し、食物連鎖が崩れつつある島や地域に、その絶滅した動物の代わりになるような大型動物を導入しようという計画である。環境保護論者たちは、開発や負の変化を起こすことに反対を唱え続けるよりも、もっと積極的なことができるのではと考え始めた。

 

しかしこのプロジェクトは、人間による野生への介入であり、新たな生態系がどんな進化を見せるかは推測することができないという批判があった。

 

アメリナキウサギは高山帯の比較的寒いところに生息している。地球の気候が温暖化するにつれてナキウサギは標高の高いところへ移動しているが、山によっては不運にも、すでに山頂付近である。もう避難先はないのである。しかしこれを心配した人間がクーラーボックスを持って助けにきたらどうだろう。地球温暖化に先立ち、将来も繁殖可能な土地への移動を考え始めている。

 

すでに、多くの種を意図せぬまま優先的に移住させているという事実もある。

 

しかし、移動させられた動物は死んでしまうかもしれない。というのも生きるために彼らが何を必要とするかはわかっていないからだ。また、移動した地に元々いた「在来種」を絶滅させてしまう「侵入種」になる可能性もある。

 

私たちにとって一番身近な言葉で言えば、「外来種」こと侵入種は本当に恐ろしい存在なのだろうか?

 

外来種には大問題となっているものもあるが、そうでないものが大多数なのである。だから本来はいないはずの場所にいるからという理由だけで、外来種を駆逐することに時間とお金を使うことは無駄であると著者は述べている。

 

(池の水を全部抜いて外来種を駆除するという企画をテレビで見るようになったが、あれは何を目的としてやっているんでしょうね…と)

 

本文には、外来種でできた生態系をもつ島について取り上げており、シダばかりの単調で変化に乏しい島に、多くの種を入れていき、島の自然を改善するように勧めた例もある。また、外来種が在来種よりも優れている場合があり、人間による変化を受けた「新しい」生態系は私たちの惑星の未来の姿を象徴していくのである。

 

では著者が述べる私たちの惑星の未来は、どんな姿だろうか?

 

著者は、人間は人口が密着する都市に撤退し、自発的に人口調整を行い、多くの土地を人の管理の手が入らぬままにしておくべきだと述べている。

 

そのためにも、多様な目標を土地ごとに設定し、コストも考慮するべきであると。自然保護事業は、単に現存するものを守るだけでなく、さまざまな土地を新たな候補として認め、その価値を日々高めていくことが必要であると。

 

そのためにも私たちは、自然はすべての人の干渉、管理のもとにある「ガーデン(庭)」と呼び、「多自然ガーデン」として、私たちの暮らしとともにあるリアルな自然保護を行っていくべきだと述べている。

 

f:id:hokuson-diary:20181021192529j:image

 

 

「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

 

 

 

『空気の研究』

 

44)大学のお友達に紹介?おススメ?されて読んだ本…例えがよく分からなくて挫折している本です…。

 

次に手を取るのはいつだろう分からない。と思いながら一応棚に入れる。

 

f:id:hokuson-diary:20181021191935j:image

 

 

 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 

 

『ナナメの夕暮れ』

 

43)芸人 オードリー若林正恭さんのエッセイ。

 

(人から借りてぱらぱらと読んだ本なので、だいぶうろ覚えです。ご了承ください。)

 

(本文より)「一生懸命やることを恥ずかしいと考え、自分が本当に楽しいと感じていることに気づけていないのではと思ってからノートに書くようにした」

 

今私が心掛けていることそのものだと思って、とても印象的な言葉である。

 

感動したこと、時間を忘れて夢中になったこと、これならいくらお金をかけても良いこと…せっせとノートに記録してはもっと本格的にやるにはどうしたらよいか…と検索をかける日々。

 

「自分探し」の日々です。

 

 

冷笑・揶揄は卒業しなければならないと思い始めた。死の間際、病室で親父が「ありがとな」と言いながら痩せこけた手で母親と握手している姿を見たからだ。その時にやっと、人間は内ではなく外に向かって生きた方が良いということを全身で理解できた。

 

人と話をするのってやっぱり好きだな〜と実感した言葉。ほぼ聴く専門ですが。

 

 

f:id:hokuson-diary:20181021190430j:image

 

 

 

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

 

 

 

『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』

42) 

人間の知能の原理を解明しそれを工学的に実現するという人工知能はまだどこにも存在していない。

 

とあり、ほへ〜知らなかった〜と。え?じゃあメディアで取り上げられている「人工知能を使った製品」「AI搭載機器」は一体どういうことなんだ?と。

 

この本は、人工知能に対する認識が、専門家と世間の見方とでズレがあることを指摘し、整理している。

 

また第1次から第3次AIブームまでの歴史を辿り、これからの人工知能ブームについて「変わりゆく世界」と題して述べている。

 

人工知能と少し離れるけれど、以下の文章が印象的であった。

 

われわれはなぜ世界をこのように認識し、思考し、行動することができるのか。なぜ新しいことを次々と考え、学ぶことができるのか。その根本原理は何なのか。いまだによくわかっていないのだ。むしろ、われわれの認識によって初めて、この世界が存在してるのかもしれないのにもかかわらず、である。

 

ヒトの脳ってまだまだ分からないことがたくさんあるのだなあと。「他人を鏡にして自分を見つめる」のように「人工知能を鏡にしてヒトを見つめる」だなあ。

 

f:id:hokuson-diary:20180930142724j:image

 

 

 

 

『東大読書』

 

41)ただ活字に目を通すだけの日が続き、読み方を見直したいと思って手に取った本。

 

1冊の本からより多くのインプットが得られるのは、「同時並行で複数の本を読む」読み方。

 

これはやってるなぁと思ったけれど、読んでいくと、

 

同じ内容でも言う人が違うだけで理解度や解釈が変わったりします。(中略)1つのことを多面的にとらえたり、その内容の理解を深めたりすることにつながるのです。

 

あ!似たテーマの違う本を同時並行で読むのがいいのか!と。そういえば苫野さんが

 

 

「一本釣り」ってそういうことか〜と納得。

 

最近『合成生物学の衝撃』という絶対自分からは手に取らないような本を読み始めたので、生物学遺伝子ゲノム系を読み漁ろうと思います。

 

f:id:hokuson-diary:20180930140224j:image

 

9月が終わる!

 

 

 

「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大読書

「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大読書